街のひとつの歩き方(22)

ローマに戻り、”怪しい遠回り”の35ユーロのタクシーでホテルに戻った。35ユーロはちょっと高かったが、親切でいつもと違う景色を見せてくれたと考えることにした。ロトンダ広場のレストラン[1]で、アコーディオンの音色を聞きながらワインを飲んだ。妻が、広場のアコーディオニストを私から見えるようにと席を替わってくれた。翌早朝まだ薄暗い町並みの中を空港に向かう。ジェズ教会[2]カンピドリオ広場への階段。通るとき、その広場の南に広がるフォロ・ロマーノコロッセオの風景が眼に浮かんだ。そして、マルケス劇場、真実の口で有名なサンタ・マリア・イン・コスメディン教会、左にチルコ・マッシモという古代競技場跡、その東側の皇帝たちの宮殿があったパラティーノの丘。ローマ時代、庶民が生活したアヴェンティヌス[3]の丘を車は右に。ガイウス・ケスティウスのピラミッド。白いサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ聖堂。そして、「ローマの松」[4]の風景を後にする。

 

 

[1] Ristorante Scusate Il

[2] ジェズ教会は、かつてイエズス会の本拠地(母教会)だった教会である。正式名は Chiesa del Santissimo Nome di Gesù all'Argentinaイエス・キリストの神聖な御名の教会)。1551年、イエズス会を創立した聖イグナチオ・デ・ロヨラが構想した(ウィキペディア)

[3] Romeという20回シリーズのシーザーの時代を扱ったテレビドラマでは、ローマ軍第13軍団の百人隊長ヴォレヌスとその部下の軍団兵プッロがここに暮らす。その西側にテベレ川がある。

[4] ローマの松は枝が上の方に集中し、傘のように広がっている。ローマの多くの風景を彩り,『ローマの松』という交響詩を作曲したオットリーノ・レスピーギは、「『ローマの松』では、私は、記憶と幻想を呼び起こすために出発点として自然を用いた。極めて特徴をおびてローマの風景を支配している何世紀にもわたる樹木は、ローマの生活での主要な事件の証人となっている」と書いている(ウィキペディア。米国のBethesdaにPines of Romeというカジュアルなイタリアン・レストランがある。変わった名前だと思っていたが、ローマに行って初めて意味があることに気付いた(http://www.yelp.co.jp/biz/pines-of-rome-bethesda)。