救急車 ROMA AMOR (16)

日本に帰ると今回は、妙に日本料理が懐かしく、開いている寿司屋[1]のカウンターに直行した。カウンター席の隣に座ったフランス人が、お絞りで汗をぬぐいながら、「今日はなんにしようかな」。私のまねのできない大人の日本語口調。無事に帰国したことを実感して安堵した。

 

[1] https://tabelog。com/tokyo/A1308/A130803/13036243/

救急車 ROMA AMOR (15)

翌朝も頭部のこぶ付近の痛みと背部の痛み。それでもせっかくの旅行だからと、妻のショールを胸に思い切りきつく巻いてもらい何とかナボーナ広場そばの薬局[1]へ向かった。テーピングのようなものを探していると、若い可愛い薬剤師さんが近づいてきた。事情を話すとコルセットを勧めた。巻き方にコツが必要と、薬剤師さん自身の体に巻いてを実演してくれた。コルセットをそのまま購入し、ちょっと恥ずかしいような嬉しいような・・・。教わった方法で、コルセットを巻き、痛みをこらえながら散策した。昨日の転倒時途中でぶつかったらしく、ホテルの壁の装飾が一部壊れていることに気づいた。フロントに言うとむしろ私の体ことを気遣ってくれた。壊れた壁の装飾はnon ce problema。私たちが散策中に修理してあった。無償。

 

[1] https://www。paginegialle。it/roma-rm/farmacie/farmacia-senato-crisera-guglielmo

救急車 ROMA AMOR (14)

猛暑の中、再びローマの街を散策。フォロ・ロマーノ、パラティーノ丘、地下鉄で聖パウロ大聖堂[1]。大聖堂に付随したカフェテリアで、サラダライスと白ワイン。

汗をかいたので、ホテルに戻った時、今度は私の番だった。妻が洗面所にいて、声を上げた。昨日のことがあり、走って洗面所に向かう。床がぬれていた。そのまま転倒。頭部打撲。目の前が真っ暗に。硬膜下血腫になるかもしれない、頭部打撲は認知症リスクだねと頭に浮かぶ。しばらくして、背中の激しい痛みにも気づいた。妻に抱えられて何とかベッドに横になった。予約していたレストランはキャンセル。夜、頭や背中の痛みで眠れず、メールをチェックしていると、友人からパウロの言葉を解説するメールがあった。その日パウロのまつられている大聖堂を見学していたこともあり、元気づけられる。病院に電話連絡し、帰国後の診察の予約をとっていただいた。声をお聞きして、心が安らいだ。

 

[1] サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂コンスタンティヌス1世により聖パウロの墓を祀る聖堂としてつくられたもの。386年、テオドシウス1世によって大規模に建設される。最も古い記録は、コンスタンティヌス1世時の4世紀初頭の小さなメモリアであり、「殉教者たる使徒パウロ」という銘文が大理石版に記されている。1823年に火災で焼失するが、その後再建される。(ウィキペディア)

救急車 ROMA AMOR (13)

そう言えば、出かける前、もう一つ事件があった。パン焼き器に油ののったクロワッサンを入れるのは危険。 ホテルの朝食のカフェテリア。 食パンを載せると、 ベルトコンベアが回り、 こんがりしたトーストが出てくるしかけの装置があった。 妻がクロワッサンを暖めたいというので、 ベルトコンベアにクロワッサンを載せてみた。 順調に流れていったが, 途中で少しひっかかり、 気が付くと炎を出して、 燃え始めた。 後ろにいた半ズボンの体格のいいアメリカ人らしい男性が, 「Fire!」と嬉しそうに叫ぶ。 救急車の次は消防車かと一瞬頭をよぎった。  燃えながらクロワッサンは回り続け、 間もなく自然鎮火した。 まるこげのクロワッサンが装置から出てきて、 とり皿に落ちた。 カフェテリアを出る時、 さっきの男性がこちらを向いて、 Vサインをした。 昨夜に続いて、隣人に元気づけられる。

救急車 ROMA AMOR (12)

翌日は、妻も元気になる。「パンテオンの神殿の前の石畳に寝た日本人は初めてかも」と言うと、妻は帽子を深くし、サングラスをかけた。そして、前日とほぼ同じ服装の私から少し離れて歩いた。昨日助けてくれた人に御礼を言おうとしたが、どの人かわからなかった。Grazie di cuore.

救急車 ROMA AMOR (11)

この病院 Ospedale Santo Spirito[1]はヨーロッパで最も古い病院。727年聖ペトロの聖地への巡礼者の収容、援助、ケア専用の建物として生まれた。今も使われている男性病棟は歴史的建造物とのこと。そのことを後で知り、妻が「私は夫孝行。あなたの好きなローマで救急車に乗せて、普通では入れない歴史的病院に入れてあげたのだから」と言った。

タクシーがつかまらず、見覚えのある道を、妻の体を気遣いながら、ホテルまで、だいぶ長い時間歩いた。深夜に関わらず、ちらほら人とすれ違う。観光客だろうか。すれ違うたびに少し安心する。後にグーグルマップで調べると歩いて10-15分ほどの距離だった。

 

[1] http://www。asl-rme。it/index。php?p=servizi&os=223

救急車 ROMA AMOR (10)

深夜、12時過ぎ、 場所の見当のない病院。ERはタクシーを呼んでもらえるような雰囲気ではなく、救急車の出入りする通路沿いに裏口から車の遮断機を乗り越えて外に出た。すると、何か見覚えのある風景。テベレ川の岸辺のレストランの光と音楽。ローマの休日のダンスパーティのシーンだ。病院は思いがけずテベレ川に面し、サンタンジェロ城のすぐそばにあった。