救急車 ROMA AMOR (4)

翌朝、アマルフィを歩いた。街までは、狭い道を車と競って歩くのは危険で、ホテルのシャトルバスを利用した。街の中心部にある大聖堂[1]の大屋根から朝の太陽の光がこぼれでて、まぶしい。イエス・キリストが布教を始めたころ、ガリラヤ湖で漁をしていたアンドレは兄弟のペトロともに声をかけられた。大聖堂には聖アンドレの聖遺物がまつられている。

狭いメインストリートを土産物屋など覗きながら登る。途中気のよさそうな麻のシャツ屋があり、思わず、涼しそうな白いシャツを二枚買ってしまう。さらにのぼると、昔の製紙工場があった。イタリア人の母親と小学生くらいの子二人、私たちを若い男性が案内してくれた。数年前、日本の和紙造りの関係者[2]が来館したとのことで、サイン帖を見ると、近所の高校の文字が目に入った。大聖堂まで戻り、その裏側の住居地区を縫う狭い道。建物の中の道もくぐり抜け、ひたすら登る[3]。街全体が見渡せるところに出た。

 

[1] アンデレの捧げられた大聖堂であり、9世紀頃建設された。
大聖堂は7回もの改修がなされており、ロマネスク建築バロック建築 イスラーム建築ロココ建築ゴシック建築ビザンチン建築など様々な建築様式が混在している。また大聖堂に地下には地下聖堂があり聖アンデレの聖遺物が奉納され、聖アンデレの骨から聖なる液体マナ (食物)が出てくると言われている。
4次十字軍の遠征が実施された1206に聖アンデレの聖遺物が大聖堂に運び込まれたと言い伝えられており、1208に地下聖堂が完成し聖アンデレの聖遺物が安置された。(ウイキペディア)

[2] 紙の文化交流 美濃市 http://www。city。mino。gifu。jp/pages/6224

[3] 住宅の門にはときどきAttenti al Cane (犬に注意)のサインプレートがあった。同じものを購入し、自宅に貼った(写真3)。